院長です。皆さんもご存知かと思いますが、先日「インターネットを介しての母乳売買」に関する報道がなされ、厚生労働省をはじめ各団体からの声明が出ています。
http://jalc-net.jp/data/p_seimei20150709.html
http://www.bonyu.or.jp/index.asp?patten_cd=12&page_no=20
http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11908000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Boshihokenka/bonyuu.pdf
また、この報道をきっかけに毎日新聞で「母と乳」という特集が5回にわたり掲載されました。
この特集を読んでみて、いろいろと思うところがありました。今回は少し違った視点から考えてみたいと思います。
日本における育児法の変遷を考える上で、母子健康手帳の果たしてきた役割は、非常に大きなものがあると思います。母子健康手帳が交付されるようになったのは1948年5月です(1964年までは「母子手帳」という名称でした)。同年8月に「妊産婦保健指導要綱」「乳幼児保健指導要綱」が示され、保険所の医師・保健婦・助産婦が、妊産婦や乳幼児に保健指導を行う体制が作られました。母子保健における当時の課題は、栄養失調と感染の予防でした。そして1950年の第一次改正の際に、育児知識を掲載する「育児の心得」が登場しています。「正しい育児の知識」に従って子どもを育てることが重要であると強調され、「正しい知識を得るためには保健所に相談したり、医師や保健婦に聞いたり、本を読んだりしましょう。」と記されています。この「正しい育児の知識」とは、医師や保健婦といった専門家や育児書の説く科学的な知識であり、それは「専門家に教えてもらうもの」という流れが形成されていきました。この「正しい育児の知識」は、米国の母子衛生管理システムや出産育児指導の影響を強く受けたものでした。添い寝の禁止、規則的な授乳、抱き癖への注意といったことが記されていたのです。
その後1950年代の国際的な研究成果として、母親と赤ちゃんとのふれあいが重要視されるようになり、赤ちゃんの欲求に従って授乳する自律授乳が奨励されるようになりました。日本では1965年に母子保健法が施行され、母子手帳は母子健康手帳と名称変更されました。この時に「育児の心得」における「しつけ」に記載のあった規則的授乳法の奨励・添い寝の禁止・抱き癖への注意に関する記載に限って削除され、日本でも母と子のふれあいが重視されはじめ、「スキンシップ」の重要性が提唱されるようになりました。しかしながら母乳育児においては、赤ちゃん主体の授乳法と、小児科医が主張してきた従来の規則的授乳法に意見が二分されることとなりました。
一方、日本が参考とした米国では、1960年代から1970年代にかけて児童虐待の社会問題化をきっかけとして自律授乳がよいとされるようになり、1980年代には添い寝やおんぶといった日本の風習が、母と子の絆を強める上から良い影響があるのではないかと見直されるようになっていきました。日本の育児法は一定のタイムラグをもって米国の育児法の理論的影響を受けていたと考えられ、日本で規則的な授乳法が減少したのは1980年代に入ってからでした。日本では、1970年代から1980年代における関心の主体は、子どもの発達・発育や、障害の早期発見・早期治療でした。日本において児童虐待が社会問題化し始めたのは1980年代後半であり、母子健康手帳の内容が児童虐待の予防や子育て支援に重点を置くようになったのも、この頃からでした。
このような流れを通してみたときに感じることは、母子健康手帳の役割は時代とともに変化してきているけれども、「正しい育児の知識」は医療者が親に提供するもの、という関係は今も変わっていないということです。「授乳指導」「沐浴指導」「・・・指導」という言葉が今もなお医療者の間で普通に使われているのは、そういう医療者の意識の表れだと思います。そして、発育・発達における「正しい」の意味は多くの場合、国や医療者が示す「標準(基準)」と同じかそれに近いことを指しており、この標準が浸透してきた過程の中で、実は育児がその通りには進まないという矛盾を孕んでいたのです。標準とわが子を比較して焦ったりするだけではなく、お母さんと赤ちゃんが医療者と出会う健診の場で、医療者による一方的な「指導」によって傷つき育児不安に陥ったお母さんが今もたくさんおられるという現実に、われわれ母子保健に携わる医療者は真摯に向き合わなければならないと思います。(つづく) (2015.7.30.)