かつては自分も…

院長です。気になる事件がありました。
「苦しがる姿が快感」…生後3カ月の女児を絞殺 同居の少女を逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140826-00000528-san-soci
〈知人女性(21)から預かっていた生後3カ月の女児の首を絞めて殺害したとして、警視庁少年事件課は殺人容疑で、長野市の無職の少女(18)を逮捕した。同課によると、少女は「殺すようなことはしていない」と容疑を否認している。 逮捕容疑は昨年11月1日午前2時ごろから7時ごろまでの間、東京都渋谷区道玄坂のマンション6階の一室で、女児の首をひものようなもので絞めて窒息させ、殺害したとしている。(中略)一方、少女と別の少女が女児の搬送前に、現場近くのコンビニ店のごみ箱に同10月中旬に女児の口をふさぐ様子を写した写真を捨てていたことが発覚。2人は同11月15日に暴行容疑で逮捕され、同12月に少年院送致になっていた。少女は当時、「女児が苦しがるのを見るのが快感だった。死んでも構わないと思った」と供述していた。〉

記事を読み、思いつくままに書きたいと思います。
 
どうしてこんなことが起こってしまったのだろうかと、残念でなりません。3か月の赤ちゃんですから、言葉は話せません。もちろん抵抗もできません。だからこの犯人は、こんなことができたのかもしれません。でも、思うのです。僕が今、この赤ちゃんと同じ状態に置かれて同じ目に遭ったとして、その時に思い感じるであろうことと同じことを、この赤ちゃんも思い感じたのだろうな、と。そこに思いを馳せることができれば…。この犯人は、それができなかったということになのでしょう。
 
僕にも遠い昔に、3か月の赤ちゃんの時期があったように、この犯人にも3か月の赤ちゃんだった時期があり、親に抱かれ、家族に守られ、大切に育まれていたはずです。目の前の赤ちゃんは、かつての自分の姿。そう思うことができれば、もっと優しくなれたと思うのです。このような想像力はとても大切だと思うのですが、それが乏しくなっているのではないかと思われる大人や子どもが最近増えているのではないかと、こういった事件のたびに感じています。この事件を遠い世界の事とせず、身近に存在するものとして、そして自分自身の問題として、考えなければと思っています。 (2014.8.28.)