院長です。先日、うちの助産院で赤ちゃんがうまれました。もちろん僕も立ち会いました。でもそこは、お母さんと赤ちゃん、お父さん、介助する助産師とスタッフの世界です。一つの大きなシャボン玉に包まれているかのような、とても繊細な空間です。僕が余計なことをすると、そのシャボン玉はすぐに壊れてしまいそうで、できる限り存在を消して、ただ見守っていました。

 静かに、でも着実にお産は進み、本当にきれいな、元気な赤ちゃんが生まれてきました。突然の環境の変化に驚いた赤ちゃんはすぐに泣いたけれど、お母さんの胸に抱っこされるとやがておとなしくなり、また元の場所に戻ったかのような安堵の表情となりました。

 お産に立ち会う小児科医の役割は、生まれてくる赤ちゃんの安全の確保です。そのためにこれまでは、生後数分でお母さんに抱かれている赤ちゃんを僕が預かり、清拭と診察をして問題がないことを確認した上で、それからもう一度お母さんに抱っこしてもらっていました。ほんの数分のことですが、ほとんどの赤ちゃんは大きな声で泣き続けます。お母さんと離されたことへの恐怖と怒り、いつもそのように感じていました。でもこれが僕のやるべき仕事、と思ってやってきました。

 今回、お母さんの胸に抱かれている赤ちゃんの顔を見れば、元気で問題がないことはよくわかりました。顔色は良く元気で、少なくともしばらくの間このままであっても、しっかり見守りさえしていれば問題がないだろう、そう感じました。「このままで大丈夫」そう言ってあげることも僕の役割なのかもしれない、なぜか今回はそう思いました。結局赤ちゃんの診察は、胎盤が出てお母さんの清拭をする生後30分頃からのわずかな時間の間に済ませました。その後、お母さんの胸に戻った赤ちゃんは、やがて大きく口を開けてお母さんの乳首に向かって這い上がっていき、力強く吸い始めました。

 ヒトは、誕生の時に一番死に近づく、と言われます。羊水の中から外の世界への適応を、ほんのわずかな時間の間にやり遂げなければなりません。そこには絶妙な仕組みが備わっているのですが、それは「お母さんと赤ちゃんがずっと一緒にいること」が前提となっています。お産が医療の対象となったことで、私たち医療者は、このような基本的なことを見失ってきたのだろうと思います。お産の場においては、余計なことはせず見守ること、もまた小児科医の大切な役割なのだと思いました。(つづく)   (2017.2.20.)